—— 男子新体操の選手だったそうですが
高校に入った時に、たまたま新体操部の顧問の先生に声をかけられたのが切っ掛けです。僕が運動神経良さそうに見えたわけではなく、あまり人気のない部だったので、片っ端から声をかけていたのだと思いますけど(笑)。それまでは男子の新体操があること自体知らなかったのですが、特に入部したいものもなかったのでやってみようかなって。
始めてみたら、すごく楽しかったんです。女子にはないアクロバティックな要素がかなり入っていたりして..。小さい頃からモノを作るのが好きだったので、自分で演技をするのはもちろんなのですが、全体の構成や振り付け/伴奏曲とか、そういうのを考えるのも楽しかったですし、構成から伴奏曲まで自由に決めさせてくれる学校でした。
Studio Oneの魅力を語る林ゆうき氏
—— 伴奏曲の選定方法とは
歌モノはダメなので、やはり映画のサウンドトラックとかイージー・リスニングになってしまいますね。CDショップやレンタルCD屋さんに行って、ひたすら試聴機で聴きました。誰も知らないトルコのポップスのイントロ部分だけを使うなど、CDショップのワールド・ミュージック・コーナーで、皆が聴かないようなマニアックな音楽を探したりしていました。
—— 選定後に競技の長さ合わせて編集するのですか
そうです。競技時間は大体1分半か3分なので、専門の編曲家さんにお願いして作ってもらいました。どうしても歌モノで気に入った曲がある場合には、そのインスト・バージョンを作ってもらうなどして。もちろん編曲家さんには自分のイメージを言葉で伝えるわけですが、当時は音楽の知識が皆無だったので、上の方にビヤーッと鳴る音を入れてくださいとか、そんな感じで伝えていたので(笑)。当然、自分のイメージとは全然違う曲が上がってきたりとかして、それで自分でもやってみようかなと思い、大学の時に曲作りのシステムを一式購入しました。音楽をやり始めたのはそれからですね。
—— 自分の競技用伴奏曲のために作曲を始めたと
そんな感じですね。家にコンピューターはあったのでミュージ郎を買って、先ずは取り込んだCDの編集を始めました。その後、僕自身が競技者でもあるので、選手の気持ちを理解した構成だったのが良かったみたいで、友だちや後輩からも頼まれるようになりました。ここは重たい音ではなく鋭い音の方が合っているとか、ジャーンって鳴りっぱなしではなくビシッと切れた方がいいとか..。友だちや後輩と話しても、彼らがどんなイメージの曲が欲しいのかがすぐに分かりました。
それに、男子新体操の伴奏曲専門の作曲家/編曲家は日本に2〜3人しかいないと思います。だから結構依頼がありまして、最盛期は新体操伴奏曲の8〜9割は僕が作っていたと思います。
|
|
—— それまで楽器の経験もなかったと
そうですね。作曲に関しては本も読んでみたのですが、好きな曲のコピーが一番勉強になったかもしれません。MIDIを知ってから1日1曲、自分の好きな曲のコピーを始めたのですが、そうすると、自分はこの進行が好きなのだと認識/確認できる。そして大学時代に一生懸命やったのは音像作りです。既存の曲を編集したものとMIDIで作った伴奏を混ぜると、どうしても音像が変わってしまう。それが嫌だったので、いかに音像を維持するかというのを一生懸命やっていました。
—— 作曲家に師事したことは
ダンスミュージックのプロデューサーhideo kobayashiさんに、半年位いろいろ教えて頂きました。新体操の伴奏曲も作っていて、それがすごくカッコいい。最初はデモ曲を聴いてもらう程度だったのですが、そのうちトラックメイクの方法とか作曲の心構えとかいろいろ教えて頂く様になりました。実はhideo kobayashiさんも学生時代に器械体操をやられていたみたいで、だから選手の気持ちがよく分かるんですよね。
—— 伴奏曲から劇伴を手がけるようになった切っ掛けとは
いろいろなダンス競技の伴奏曲も手がけるようになって、それだけで十分生活はできていたのですが、今までの延長線上で映像に音楽を付けられたら楽しいだろうなと思い、CMの制作会社にデモ曲を送り始めました。そんな時に知ったのが作曲家の澤野弘之さんです。試しに自分のデモ曲を送ってみたんですよ。そうしたら何とご本人から返信があって、よかったらウチのマネージャーを紹介しますと書いてあって。それが今所属している事務所の社長なのです。だから澤野さんがこっちの世界に引き入れてくれたんですよね。
Studio Oneをコアとした林ゆうき氏のプライベート・スタジオ全景
—— 劇伴作曲家としての最初の作品は
フジテレビ系列のテレビ・ドラマ「トライアングル」です。その時は澤野さんと共作だったのですが、メイン・テーマには僕がデモ用に作った曲をそのまま使って頂きました。一番大変だったのは一緒にやってくれている人達に自分のイメージを伝えること。それから劇伴の仕事をこなす上でのマナーを徐々に学んでいきました(笑)。その後「BOSS」の依頼があり、それ以降はコンスタントに仕事を頂いています。
—— イメージを具現化するのも大変だったのでは
それは伴奏曲の仕事でも同じですから慣れていました。ずっと人の頭の中にあるイメージを具現化するということをやっていたので。事務所の社長に言われたのは、あまり人の言うことを聞き過ぎても個性がなくなってしまうということ。監督のイメージを形にするだけでなく、作家が引っ張る部分もあっていいと思いますし。もちろん、それが強すぎるとエゴになってしまうので、バランスが大切なのかもしれませんね。自分は個性的な作曲家になりたいのか、それともどんなスタイルの作品でもこなせるマルチな作曲家になりたいのか、たまに考えたりしますけど、根底にあるのは映像が引き立つような音楽を作りたいということなのですよね。
|
|
|